昭和20年(1945年)7月20日、午前8時13分米軍機B29が単機で飛来し、大型爆弾を1個投下しました。 爆発による被害者は死者4名、負傷者5名、住宅全壊2戸を含めた左近地区全戸が被害を受けました。 これは原子爆弾投下の訓練として行われたもので、同年8月9日に長崎に投下された原子爆弾とほぼ同じ型の物でした。 被災60周年にあたり、平成17年7月20日に市民の芳志により、この碑が建てられました。